父の故郷

日曜日、桑原先生と軍艦島(端島)ツアーに行きました。


桑原先生の希望を受け、ツアーに申し込んだのですが、実は私もずっと前からこの島には上陸したかったのです。




私の亡き父(大正13年生まれ)はこの島の出身です。



祖父は端島炭鉱の経理担当(どのような役職かはもう知る由もありませんが)、父は先の大戦の兵役から端島に戻り、炭鉱で働いて貯めたお金で東京の大学に進学しました。

その後、教員として長崎に戻り、私が産まれたことを機に長崎市に家を構えました。


祖母は晩年まで隣の高島に住んでいました。

高島には今でも叔母が居を構えています。


当時、祖母に会いに高島にはよく行っていましたが、その先にある端島には行くすべもありません。

島にある丘の上から、近くに見えるけど上陸を許されない父の故郷について、いろんな話を聞いていました。
島での生活、炭鉱での仕事、強制連行されて連れて来られた中国人・韓国人との友情やトラブルetc...
いい話も悪い話もいろいろ聞きました。


今は三菱から長崎市の所有に移り、市内から軍艦島ツアーの船便が幾つも出ています。
時間の工面さえつけばいつでも行けるのですが、日常に流されてタイミングを逸していました。
桑原先生の来崎はいい機会を自分に与えてくれました。

元船桟橋発着の「軍艦島クルーズ」。
途中、伊王島と高島を経由して端島に向かいます。

波の状況によって、上陸出来ない場合があるそうです。上陸可能な確率は約6割。
不可の場合は島の周りを周回するそうです。
この日は天候の割には、風が穏やかで波も立たず、無事上陸できました。

端島に近づくにつれ、なんとも言えない感情が沸き起こってきました。

接岸。
当然ながら桟橋はありません。

父や祖父母が過ごした風景とは明らかに変貌した島の姿。

父が存命だったら「行きたい」と言っただろうか?
変わり果てた島の景色を見てどう感じるだろうか?

そんなことをずっと考えていました。

先月の台風で幾つかの建物の崩落が起きていたそうです。今日見た景色は次回また見ることができるとは限らない。
写真もたくさん撮影しましたが、それ以上に、風景を瞼に焼きつけることを意識していました。

ガイドの杉本さんの案内が、自分の琴線に何度も触れまくって、涙を堪えるのが大変でした。
話のスピード、抑揚、声のトーン。
どれも素晴らしいものでした。

離陸時、自分のルーツの一つであるこの島との別れが名残惜しくて、何度か乗船するのを躊躇ってしまいました。

最後は手を合わせ、また来ることを約束して船に乗り込みました。


帰りは高島に上陸し、炭鉱資料館を見学。
端島に行った後に見た様々な資料は、それまでに見た時とはまた違って見て、感じることができました。

女神大橋をくぐると、長崎港。

今回は桑原先生のアテンドの一環として軍艦島ツアーに参加しましたが、また次回、一人でも参加したいと思える素晴らしいひと時でした。

長崎観光に来られる方には、軍艦島ツアーもプランの一つに入れていただきたいですね。
私は軍艦島(端島)に思い入れがあるので、また感じ方も異なると思いますが、あの風景は見た人の心に、必ず何か残ると思います。